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出典:昭和10年頃の小田村伝染病隔離病舎(「戦前期尼崎市営繕関係写真アルバム」より)

予防医学は、健康寿命を延ばそうというアメリカの動きが日本にも渡ってきて、現代の流行りになっています。

アメリカでは、もとも医療制度の違いから“予防”に重点が置かれるようになった背景がありますが、今回は、日本で流行りだした予防医学の歴史について紹介します。

原点は感染症・栄養障害の予防

日本の予防医学は戦前に始まり、その発端は先進諸国と同じく

「感染症と栄養障害への予防対策」

からスタートしました。

今では死因のトップ3は「がん」「心疾患」「脳血管疾患」ですが、当時は、肺炎胃腸炎といった感染症がとても深刻な死因でした。

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出典:厚生労働省「人口動態統計」主要死因別死亡率

特に1918年から20年にかけては、いわゆるスペイン風邪と呼ばれた“インフルエンザ”が原因の死亡が相次ぎました。

平凡社大百科事典ではこの時の流行状況について、

「世界中でこのインフルエンザにより、約2500万人の死者を算したと推定され、細菌学的医学の勝利に冷水をあびせ、大戦の死者をはるかにしのぐ伝染病の猛威のまえに、「疫病の時代はまだ去っていない」と疫学者をして嘆じさせた。日本でも罹患者2500万、死者38万余というこれまでにない惨禍をもたらした。」

出典:感染症の黎明

と記するほど大規模な被害が出たことがわかります。

これだけ感染症が流行っていた時代、平均寿命も当然長くなく、統計の一番古いデータで1891年~1898年は、男性が42.8歳・女性が44.3歳でした。

また、妊産婦や乳幼児への栄養障害も大変深刻で、当時、母子保健がそれほど充実していなかったことも相まって、死亡率を高くする原因の1つでした。

感染症対策からの予防医学の発展

予防医学の歴史は、感染症による死亡率と妊産婦・乳幼児の死亡率を減らすために始まりました。

まずは、感染症への対策について紹介していきます。

予防医学の活動は伝染予防法・結核予防法

ちょうどこのころ、北里柴三郎、志賀潔等が優れた細菌学の研究成果をあげました。

感染症に関する研究自体はもっと以前より報告がありましたが、予防医学の歴史として語るうえで、公式に「活動」が開始されたのは、法律の制定からと考えられています。

北里らの研究後、徐々に、学界や行政において感染症対策の必要性が認識され始め、1889年には伝染病予防法、1919年には結核予防法が制定されました。

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出展:大幸薬品HP「健康情報局」

これをきっかけに、それまで「疫病」と呼ばれていた感染症が「伝染病」と改められました。

この法整備が日本で最初の予防医学の活動といえるのではないでしょうか。

感染症患者への差別・もののけ姫の例より

しかし、この時代はまだ感染拡大を防ぐ方法が確立されておらず、

どんな感染症にかかっていたとしても、一律で「(強制)隔離」していました。

予防法・治療法がなかった時代なので、感染症に対する隔離措置は確かな効果を示したようです。

一方で、この「隔離」はいわゆる“社会からの隔離”を意味するもので、患者への差別や偏見が生まれてしまいます。

その代表が「ハンセン病」です。

今でこそ人へ感染する病気ではない(=感染症ではない)ことは周知の事実ですが、当時は不治の病とされ、皮膚症状が大きくでることから人々から怖れられ、人権を無視した差別や偏見に苦しんだ患者がたくさんいました。

ハンセン病患者を一部取り上げたのが、映画「もののけ姫」

タタラ場で包帯をグルグルに巻いた人々をエボシが匿っていますが、この人達がハンセン病患者です。

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出典:公式ページより

劇中での患者のセリフが印象的でした。

「その人(エボシ)はわしらを「人」として扱って下さったたった一人の人じゃ。わしらの病を恐れず、わしの腐った肉を洗い、布を巻いてくれた。」

劇中では何となく主人公の敵役のエボシですが、当時社会から隔離されたハンセン病患者を恐れることなく、仕事まで与えた功績者なのです。

実際、ハンセン病はうつらないし、ハンセン病が原因で死亡することは稀ですが、差別の歴史を紐解くと、当時、原因不明だったこの病がどれだけ忌み嫌われたかがわかります。

人権保護を考慮した感染症法の制定

徐々に感染症への研究が進み、欧米における新興感染症などの新しい感染症が出てくるようになり、

古くなった「伝染病法」が一新される形で、1999年に「感染症予防法」が確立されたのです。

正式名称は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」です。

感染症予防法では、感染拡大防止と患者の人権保護が両立するように、

感染症を一律に隔離対象とするのではなく、危険性の高い感染症から順番に、このように4つの段階にわけました。

  • 強制隔離(4号感染症):エボラ出血熱、ラッサ熱、ペストなど
  • 隔離を含む行動制限(3号感染症):コレラ、腸チフス、ポリオ、ジフテリアなど
  • 就業制限(2号感染症):腸管出血性大腸菌など
  • 法的な行動制限なし(1号感染症):エイズ、日本脳炎、狂犬病、MRSAなど

その後、感染症の流行状況などを反映して、感染症予防法は平成15年と18年に改正されています。

予防接種の広がりから予防医学の成果へ

このように、感染症対策として活動が広がった“予防医学”の歴史ですが、この後、感染症予防の主役ともいえる予防接種の開発と普及が進みます。

日本での予防接種法は1948年に制定され、最初の接種義務はこちらの12疾患でした。

  • 痘瘡
  • ジフテリア
  • 腸チフス
  • パラチフス
  • 発疹チフス
  • コレラ
  • 百日咳
  • 結核
  • ペスト
  • 猩紅熱
  • インフルエンザ
  • ワイル病

その後、日本脳炎や麻疹、風疹なども接種できるようになり、混合ワクチンも開始され、集団接種や定期接種が始まったり、急速に予防接種の活動が広がりました。

そして1980年、ついにWHOが天然痘撲滅宣言を出しました。

これは事実上の“予防医学の取り組みの成果”といえるでしょう。

母子保健対策からの予防医学の発展

予防医学の発展は、先に述べましたように、感染症対策と母子保健対策からスタートしました。

次いで、母子保健対策の歴史について少し紹介していきます。

戦前深刻だった乳児死亡率

1918年、乳児死亡率は出生千対188.6ととても高いものでした。

「出生千対」とは、「出生した人口1000人あたり」という意味なので、この場合、1000人生まれるとそのうちの188.6人が死亡していたということになります。

ちなみに、最新平成27年(2015)人口動態統計では、乳児死亡率は出生千対1.9人でした。

当時の母子保健の水準が高くなかったことが容易に想像していただけると思います。

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出典:ガベージニュース「乳児の死亡率変移をグラフ化してみる(2016年)(最新)」

乳幼児妊産婦や乳幼児の死亡率の高さが問題となり、これらを減らす目的で、国内での母子保健に力が入れられるようになりました。

ところが、その矢先に戦争がはじまってしまいます。

戦時中の保健衛生

戦争真っ只中、母子保健の課題は、乳児死亡率の低下に加えて、人口を増加させ・国民の体力を向上させることで、いわゆる“国防”目的の意味合いが強くなりました。

これを背景に、1937年には保健所法が制定され、健康指導・相談のために保健所が全国に設置されました。

また、

「国民の体力向上」

「国民福祉の増進」

を目的に厚生省が誕生して、国の衛生行政を一括して担当するようになりました。

体力向上のための取り組みとしては、集団検診の採用や体力テストの実施があげられます。

みなさんご存じのラジオ体操も、健康増進のために戦前より開始されたもので、戦時中も続けられました。

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出典:厚生労働省:我が国における健康をめぐる施策の変遷

戦後の保健衛生

1945年8月15日の終戦によって、日本はGHQの占領下に置かれ、非軍事化・民主化に向けた指導がされるようになりました。

その後1946年に「日本国憲法」が制定され、下記のように社会保障制度の基本的理念がはっきりと憲法に記されたのです。

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」

そして、公衆衛生活動を基盤とする予防医学の活動が本格的になりました。

主な活動としてはこのようなものがあげられます。

  • 新しいワクチンの開発・接種の徹底
  • 栄養状態の改善を目的とした食生活指導を強化
  • 新婚学級を実施することによる家族計画思想の普及
  • 妊婦や乳幼児期の健康診査
  • 上下水道の普及をはじめとした生活環境の整備

ちなみに、新婚学級とは、結婚してから2~3か月後の新婚さんを対象にした、生活設計・家族計画などの教育のことです。

今でいう「両親学級」といえばイメージが湧くでしょうか。

インフラの整備は経口感染症を激減させることになり、日本の保健衛生の水準は一気に上がりました。

急激な高度経済成長の裏側

このように、戦後、日本の経済は急激に成長し、母子保健を中心とする保健衛生の水準も跳ね上がり、それまで課題だった結核による死亡率や乳幼児・妊産婦死亡率が低下するなど、さまざまな功績につながりました。

一方で、工業化などの産業構造の変化は、大気汚染などのの公害を発生させることになり、気管支喘息を代表とする健康被害が問題となりました。

公害の代表が、水俣病やイタイイタイ病ですね。

こちらについては、また別途違う記事で紹介いたします。

また、現在も関心度の高い課題である「生活習慣病」は、この時代の生活様式の変化によって肥満傾向の人が増えたことが原因です。

この時代の予防医学の功績という点では、残念ながら成果は見込めなかったといわざるを得ません。

現代の予防医学の課題に至る

1960年代、死因のトップは、肺炎や胃腸炎が主だった時代からガラッと変わり、

  • 虚血性心疾患
  • 脳血管障害
  • 悪性新生物

となり、その予防対策に重点が置かれるようになりました。

その後、生活習慣病への対策としては、一次予防・二次予防・三次予防と領域を分けた対策が提唱され、現代の予防医学の流れとなったのです。

予防医学の考え方の基本については、こちらの記事もご参考に↓

おわりに

いかがでしょうか。

予防医学の歴史は、感染症対策と母子保健対策の2軸で、その時代の課題に対応すべく・また戦後GHQの指導による高度経済成長が発展のカギとなったのですね。

今日では公衆衛生領域には「メンタルヘルス」も注目されるようになりましたが、当時の感染症患者への差別や偏見などを想像すると、おそらく水面下ではメンタルヘルス不調者がものすごく多かったと思います。

そちらについては、いずれ”精神疾患の歴史”を扱うことがあれば記載しようと思います。