出典:『南山堂 「精神医学入門」より』

精神疾患は江戸時代からあった疾患で、当時は有効な治療法がなく、「キチガイ」として差別や偏見の的になっていました。

明治時代のはじめに精神疾患に関する最初の法律ができて、平たくいうと、自宅でも病院でも隔離部屋で「監置」して見張ることという制度ができたのです。

治療法が見つからなかった感染症が当時「祟り」と恐れられて隔離されてきた歴史と大変似ています。

徐々に精神疾患のメカニズムがわかってきて、それが病気であるという位置づけとともに治療法が模索されていきました。

現代では、うつ病や発達障害、認知症などはよく耳にする疾患ですよね。

今回は、精神疾患の歴史を古く古代西欧にまで遡り、ヨーロッパにおける変遷をまとめました。

なお、感染症の歴史・精神疾患に関連する記事はこちらもご参考に。

精神疾患のはじまりは西欧から

精神疾患の歴史は西欧からはじまりました。

医学として、学問としての考え方が始まったのはそれぞれ18世紀・19世紀のことですが、精神疾患への考え方や見方はその以前からも時代ならではの特性がありました。

精神疾患が他の病気と並列だった時代

ここまで遡る意味があるのかは疑問ではありますが、差別や偏見が問題となった歴史はこの時代にはありませんでした。

当時、精神疾患は「悪霊説」が有力で、「祟り」的に怖れられていました。

そこで出てきたのが、有名なご存じHippocrates(ヒポクラテス)

彼は「医学の父」と呼ばれる医学の歴史上で大変重要な役割を果たした人です。

ヒポクラテスは、精神病は脳の病気だといい、それまで信じられてきた「悪霊説」を否定しました。

具体的な治療法こそ確立されてはいませんでしたが、今でいう「作業療法」のような働きかけも患者に対して行われていたのではないかと考えられています。

この時代は、ヒポクラテスの影響で、精神疾患も他の病気と同じに扱われ、極端な差別や偏見はなかったとされています。

「魔女狩り」にはじまった精神疾患患者の迫害

中世になると宗教的な教えが生活の中心になり、ヒポクラテスを中心としてローマ帝国時代に花開いた科学文明は衰退してしまいました。

精神障害は「悪魔のしわざ」だという迷信が信じられるようになってしまったのです。

感染症の歴史同様に、有効な治療法が見つからない・メカニズムが解明されないということもその迷信に拍車をかけたようです。

この時代は暗黒時代と称され、「魔女狩り」が横行しました。

魔女裁判で、精神疾患患者がたくさん処刑されたのは有名な話です。

魔女狩りで犠牲となった精神疾患患者は少なくとも 15 万人といわれています。

後に、精神疾患に関する研究されるようになり、ヨーロッパの各地に精神病院も作られました。

でも、依然患者への処遇は非人道的なものでした。

啓蒙思想の拡がりと患者の処遇改善

18 世紀に入ると、啓蒙思想の影響で精神疾患に対する今までの偏見が次第に薄れていきました。

そして、患者を人道的に処遇しようとする動きが出てきたのです。

ここでようやく現れるのが、精神医学の祖とされるPhilippe Pinel(フィリップ・ピネル)

彼はフランスの医学者で、「心的療法」を代表とする人道的な心理学的臨床を重んじる治療法を推進しました。

患者への過剰な薬剤投与を廃止して、治験ではなく臨床による心理学的な理学療法を推し進めたのです。

彼の試みで有名なのが、1793年に精神病棟から患者の鎖を外して解放したこと。

他にも精神疾患患者の人権を尊重しようという下記の動きがありました。

  • イギリスのウィリアム テューク Tuke W(1732 〜 1822)はヨーク救護所を設立、患者に休息と自由労働の場を提供
  • イギリスのジョン コノリー Conolly J(1794 〜 1864)は無拘束治療運動を推進
  • アメリカのドロシア リンド ディックス Dix DL(1802 〜 1887)は州立病院の改革運動を展開

このように、ピネルの思想をはじめ、この時代からそれまでの非人道的な扱いが徐々になくなっていきました。

19 世紀には、精神疾患のメカニズムを科学的に解明しようとする動きがイギリス・フランス・ ドイツなどで活発になり、現代の精神医学のベースはこの時代に形成されたともいえます。

精神医学の発展と地域への移行

徐々に精神医学の研究が進むにあたり、19世紀末から20世紀初頭には統合失調症と躁うつ病の概念が明らかにされました(クレペリン Kraepelin E(1856〜1926))。

彼の方法論は記述精神医学と呼ばれ、ヨーロッパの精神医学の発展に大きく寄与した有名人です。

また、フロイト’Freud S(1856 〜 1939))による精神分析も後に力動精神医学へと発展していき、彼も精神医学の発展に欠かせない役割を果たしました。

力動精神医学とは、調べても「力学的な概念と心理的な力の相互作用を導入した精神医学」とかなんとか難しい説明が書かれていますが、簡単にいうと、患者の症状や問題行動の原因が個人の志向・感情・衝動・動機といったパーソナリティに関わりがあるという考えを前提とした学問です。

そして、この時代には治療法も新しく考案されました。

  • マラリヤ療法(1887)
  • インスリンショック療法(1933)
  • カルジアゾールけいれん療法(1935)
  • 電気ショック療法 (1938)

これらはすべて身体的な治療法で、今ではほとんど使われないものですが、治療法のはじまりといえるでしょう。

でもこれらの”治療法”は、今の視点でみると治療とは呼べないのではないか??と疑問が残るものが多いです。

当時、実際に使われていた治療器具が、アメリカのミズーリ州にあるGlore Psychiatric Museum(グロール精神医学博物館)に展示されています。

この博物館は当時の精神病院の一角を博物館として、使っていた治療器具を展示したものです。

強く前置きしますが、この病院は当時の最先端の治療法が多く採用されていた病院です。

かつてで行われていた“治療”

当時の治療の”最善”はこちら。

患者はベッドに縛り付けられ身動きがとれないように”拘束”されていました。

が、これは当時拘束ではなく治療。

シートパックという冷却法で、身体を冷水が入ったパックで覆って精神を落ち着かせる目的で使われていたそう。

出典:見学者のブログ

こちらはハイドロセラピー温浴の様子です。

ハイドロセラピーとは、現代では犬の機能向上・リハビリなどに使われるのが主流ですが、水圧や水温の刺激によって、

  • 血流を良くする
  • 治癒力を高める
  • 免疫力を高める
  • 気持ちを安定させる

といった効果を見越した治療法です。

精神病院では、暴れた患者を落ち着かせるために使われたそうです。

出典:見学者のブログ

また、この病院では梅毒患者の治療もしていました。

梅毒は性病の1つで、昔は発症からだんだんと進行し10年で死亡してしまうという恐ろしい病でした。

今はペニシリンで治療ができますが、当時は治療法がなく、熱で梅毒の細菌を殺すという方法がありました。

出典:見学者のブログ

この装置に体を入れて、温度を105度に上げるというもので、梅毒の殺菌は成功したものの、治療法そのものが患者の命にかかわったとのことです。

そりゃそうですよね…

そしてこちらも、患者を落ち着かせる目的で使用されていた器具。

どうみても拷問用の器具に見えますがそのとおり。

18世紀に囚人たちに使われていた拷問器具を、患者の体力を消耗させるために使われたそうです。

出典:見学者のブログ

これでもかという感じですが、こちらの電気椅子も、患者の動きを抑えるために使われていました。

出典:見学者のブログ

出典:GLORE PSYCHIATRIC MUSEUM公式サイトより

博物館には、患者自身が制作したジオラマもあり、自分たちはここで拷問を受けている、医者は悪魔だと感じていたことがわかります。

再三になりますが、今では目を疑うような拷問にしか見えない”治療法”も、当時はそれが”最善”でした。

もちろん、患者と共に交流する場があったり、仕事を任せたりと、社会的活動も行っており人道的な扱いが前提ではありました。

症状が出てしまったときの対処法として、ご紹介した方法がとられていたよということです。

ご注意いただきたいのが、この博物館を調べると、「おどろおどろしい~~」なんてイメージが先行してしまうウェブサイトにひっかかります。

でも、実際病院では社会活動をとおした今でいうリハビリに該当する取り組みも行われていました。

精神医学の第一歩の一端を担ったその病院は、その思想をはじめ現代の精神保健を形作ったと思います。

ピアーズによる精神保健運動

そんなわけで、当時の最先端の治療法をご覧いただきましたが、他方で力動精神医学をベースに高まったのが精神保健運動

これはアメリカのビアーズ Beers CW(1876 〜 1943)による精神科病院改革から始まりました。

彼は自身が躁うつ病に罹患した経験があり、それをもとに精神医療改革・精神障害者の人権擁護の運動に邁進しました。

その運動はアメリカ全土から更には全世界へと広がりました。

有名なのが著書『 A mind that found itself(我が魂にあうまで)』。

出典:公益社団法人日本精神神経学会「歩み7:国際的精神保健運動の誕生とその後」

ご興味のある方は書籍もありますよ。

地域精神医療の門出と第二次世界大戦勃発による再びの迫害

20 世紀後半になると、地域精神医療がすすめられるようになり、薬剤としては向精神薬クロルプロマジンが出てきました。

向精神薬クロルプロマジンは、現在も開発されている多くの薬剤のベースになった薬剤です。

このころは電気ショック療法を除く身体的治療法は使われなくなりました。

精神科病院の雰囲気も、それまで閉鎖的で暗い雰囲気だったのが明るく開放的になりました。

そんな精神医学の発展の一方で、第2次世界大戦が勃発したのです。

ようやく精神疾患患者の迫害がなくなったと思われた矢先に、戦時中再びその歴史が繰り返されてしまいます。

特にドイツのナチス政権下では、たくさんの精神疾患患者が犠牲になりました。

戦争で「生き死に」がかかった時、精神疾患患者は「生きるに値しない生命」とされ、隔離されて抹殺されたのです。

戦後、再び動き出した地域精神医療への取り組み

戦争が終結し、1948年に世界精神保健連盟が設立されました。

この頃の精神医学の歴史で有名なのが、ケネディ教書(精神病及び精神薄弱に関する大統領教書)です。

これを機に精神障害者らに対する積極的な福祉施策がすすめられるようになりました。

  • アメリカでは、脱施設化・地域精神保健活動が展開された。しかし地域の受け皿の整備が不十分だったため、多くの精神障害者がホームレスとなってしまう結果につながってしまった。
  • イギリスでは、1960年代から脱施設化の政策を掲げ、精神病床数削減の数値目標をあげて、病院中心から地域ケアを中心とした地域精神保健サービスへと転換が図られた。
  • イタリアでは、1978年バザーリア法を公布し、公立精神病院の廃止にはじまり急進的な精神医療改革を行いました。

このように西欧では、戦後急速に精神保健・医学が発展し、脱施設化と地域精神医療サービスの充実が進んだのです。

この頃の地域精神医療は予防精神医学が流行り出しました。

いわゆる予防医学の基礎を精神医学に当てはめた考え方です。

  • 一次予防:環境条件の改善により精神障害や情緒障害の発生を予防
  • 二次予防:早期発見と早期治療
  • 三次予防:慢性患者の社会復帰と再発防止

この頃は精神疾患のメカニズムも多くの学者によって解明され、人々の認知も進みました。

魔女狩りの時代の迫害、戦時中の迫害を越え、精神疾患はその時々の歴史の思想と文化と社会背景に大きく影響されながら現代まで発展してきたということです。

地域移行・予防精神医学の発展に関しては、西欧ではすでに一般化していて、極端な話イタリアでは精神病院がほとんどない国として有名です。

予防精神医学も、他の疾患と並列に考えられている証拠で、地域でのサポート制度も充実しています。

おわりに

今回は、精神医学の起源を西欧の歴史から整理しご紹介しました。

日本における歴史はまた別の記事でご紹介しようと思いますが、文化や社会背景は異なるものの、ちょうど今日本の状況が、アメリカの脱施設化の取り組みあたるのでないでしょうか。

生活保護を受ける人の多くが、何らかの精神疾患を持っており、ホームレスになってしまっている現状が実は日本の水面下で非常に深刻な問題です。

オリンピックが近いことから、ホームレスの社会復帰に向けたサポートとして一時的な生活環境と職探しなどのサポートを与えるも、根本的な治療やサポートを行っていないため結局上手く行かず、一定期間外に出てはまたホームレスになるという繰り返し。

こんな税金の使い方せず、根本から手厚い地域でのサポート体制を整備すべきなのにと、そろそろ憤りたいところです。

ではまた。